2015.07/12 [Sun]
小倉鳥町食堂街を行く
「清張も愛した食堂街の味」これは新聞の見出しから。
魚町1丁目の魚町銀天街から、東へ伸びる約70m、幅2m程の路地が鳥町食堂街。
一部は不定期営業だが、26店が軒を連ねる。

中国料理「耕治」は、松本清張さんも通われたらしい。



焼うどん発祥の「だるま堂」は終戦直後のオープン。
食糧難で焼きそばの麺が手に入らず、乾麺を湯がいて水気を切って焼いたのが起源だとか。

暖簾をくぐって中へ入ると,L字型のカウンター席のこじんまりとした空間だ。
78歳の坂田チヨノさんが、何も言わずとも、お客さんの分だけ、焼うどんを作る。
キャベツ、タマネギと豚肉を少量、ウスターソースの味に懐かしさを覚える。
一人で鉄板の前に立って、もくもくと焼うどんを焼いている。
体調のすぐれない時も有り、休業する日も珍しくないとか。
焼うどん発祥と言う、古い歴史を背負って、頑張っている姿に頭が下がります。

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魚町1丁目の魚町銀天街から、東へ伸びる約70m、幅2m程の路地が鳥町食堂街。
一部は不定期営業だが、26店が軒を連ねる。

中国料理「耕治」は、松本清張さんも通われたらしい。



焼うどん発祥の「だるま堂」は終戦直後のオープン。
食糧難で焼きそばの麺が手に入らず、乾麺を湯がいて水気を切って焼いたのが起源だとか。

暖簾をくぐって中へ入ると,L字型のカウンター席のこじんまりとした空間だ。
78歳の坂田チヨノさんが、何も言わずとも、お客さんの分だけ、焼うどんを作る。
キャベツ、タマネギと豚肉を少量、ウスターソースの味に懐かしさを覚える。
一人で鉄板の前に立って、もくもくと焼うどんを焼いている。
体調のすぐれない時も有り、休業する日も珍しくないとか。
焼うどん発祥と言う、古い歴史を背負って、頑張っている姿に頭が下がります。

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小倉、食堂街
小倉の街並みが次々と紹介され「焼うどん」のお店も出てました。
伊藤伝右衛門邸も・・・・・・。
“どれみちゃん”の、まだ見ぬ顔が浮かんできましたよ。