2020.12/21 [Mon]
守田蓑洲旧居を訪ねて
行橋市大字沓尾
守田蓑洲旧居は時間が止まったかのように佇んでいた
掲示板によると
守田家は守護大名大内氏の重臣 杉氏の家臣でしたが
江戸時代の始め沓尾に居を構え代々庄屋や大庄屋を務めた家柄です
現存する建物は江戸時代末期 文久新地の開拓事業に尽力し
平島手永大庄屋を務めた守田家第27代 守田房貫
号は蓑洲(1824~1910)の頃に建てられたのを復元したものです

薬医門

冠木門
冠木門は明治4年に大橋洋学校の教師として迎えられた、オランダ人ファン・カステールが
この門をくぐって守田邸に入ったことから、オランダ門ともよばれています

守田蓑洲旧居

玄関からお邪魔します

お庭から、冠木門を見たところ
大小の踏み石が敷かれています

次座敷

飾り棚に末松謙澄について
守田家と末松謙澄との関わりが書かれていました

増田美術館で見た”古希寿賀帖”
ここではレプリカの賀帖が有り自由にページをめくって見る事が出来ます

頂いた栞
狩野一純「唐童子」
(泣き上戸・笑い上戸・怒り上戸)
童の表情がなんとも言えません

栞の裏には守田蓑洲のイラスト

奥座敷から裏庭を眺めると、一服の絵のようです


桑野青晃作「沓尾の石工」
沓尾の石工の逞しい肉体
守田蓑洲邸には石に纏わる出来事も有ったのですね

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守田蓑洲旧居は時間が止まったかのように佇んでいた
掲示板によると
守田家は守護大名大内氏の重臣 杉氏の家臣でしたが
江戸時代の始め沓尾に居を構え代々庄屋や大庄屋を務めた家柄です
現存する建物は江戸時代末期 文久新地の開拓事業に尽力し
平島手永大庄屋を務めた守田家第27代 守田房貫
号は蓑洲(1824~1910)の頃に建てられたのを復元したものです

薬医門

冠木門
冠木門は明治4年に大橋洋学校の教師として迎えられた、オランダ人ファン・カステールが
この門をくぐって守田邸に入ったことから、オランダ門ともよばれています

守田蓑洲旧居

玄関からお邪魔します

お庭から、冠木門を見たところ
大小の踏み石が敷かれています

次座敷

飾り棚に末松謙澄について
守田家と末松謙澄との関わりが書かれていました

増田美術館で見た”古希寿賀帖”
ここではレプリカの賀帖が有り自由にページをめくって見る事が出来ます

頂いた栞
狩野一純「唐童子」
(泣き上戸・笑い上戸・怒り上戸)
童の表情がなんとも言えません

栞の裏には守田蓑洲のイラスト

奥座敷から裏庭を眺めると、一服の絵のようです


桑野青晃作「沓尾の石工」
沓尾の石工の逞しい肉体
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こりゃ素敵ですよねーー!今年は良い紅葉見れんかったし!