2020.11/19 [Thu]
禅海和尚と青の洞門
中津市本耶馬溪町の青の洞門
紅葉も始まり多くの方が見に来られていた
洞門の中を車で通ります

左側にそそりたつ岩壁

観光客も洞門を歩きます

右側には、ゆったりと流れる山国川

洞門を通り抜けると聳え立つ競秀峰が目の前に
青の洞門は菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の舞台である
昔この地は難所で競秀峰の裾や崖を通行していた人馬が滑落死
見かねた禅海和尚が石工たちを雇って30年の月日をかけ洞門を貫通させたと言われる
全長342m トンネル部分144m

右側が青の洞門

競秀峰探勝道がありましたが
ちょっと怖くて歩けません

小さな橋は禅海橋
少し紅葉

ノミと槌を振るう禅海和尚

”恩讐の彼方に”の作者 菊池寛の肖像

禅海和尚の手掘り跡を見に

この窓が最初に明けた あかり窓
山国川の流れが一服の絵のようです

禅海和尚像

洞内を歩きます

反対側の道へ渡ると
この下 禅海和尚の手掘り洞門がありました
下りて行きます

整備されているので歩きやすいです

ノミと槌の跡が見られます
30年もかけて掘ったなんて気が遠くなりそう
ご苦労が偲ばれます
今は観光地となって多くの人が訪れる

洞門内は一方通行、車は信号が青になるまで待ってから
青の洞門を後にしました

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紅葉も始まり多くの方が見に来られていた
洞門の中を車で通ります

左側にそそりたつ岩壁

観光客も洞門を歩きます

右側には、ゆったりと流れる山国川

洞門を通り抜けると聳え立つ競秀峰が目の前に
青の洞門は菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の舞台である
昔この地は難所で競秀峰の裾や崖を通行していた人馬が滑落死
見かねた禅海和尚が石工たちを雇って30年の月日をかけ洞門を貫通させたと言われる
全長342m トンネル部分144m

右側が青の洞門

競秀峰探勝道がありましたが
ちょっと怖くて歩けません

小さな橋は禅海橋
少し紅葉

ノミと槌を振るう禅海和尚

”恩讐の彼方に”の作者 菊池寛の肖像

禅海和尚の手掘り跡を見に

この窓が最初に明けた あかり窓
山国川の流れが一服の絵のようです

禅海和尚像

洞内を歩きます

反対側の道へ渡ると
この下 禅海和尚の手掘り洞門がありました
下りて行きます

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ノミと槌の跡が見られます
30年もかけて掘ったなんて気が遠くなりそう
ご苦労が偲ばれます
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