2018.10/04 [Thu]
原城跡を巡る
”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”
原城跡は、有馬領と天草地方の百姓による、島原・天草一揆の主戦場跡
周囲 約4㎞ 総面積 41ha
ここが島原の乱の激戦地だったとは・・・

空濠
低地に築かれた濠は、籠城の間
木や竹で柱を立て、カヤでその上を覆い
老若男女を収容していたとか。

ホネカミ地蔵
城跡に残されていた遺骨を、敵味方区別なく広い集め
供養した地蔵塔。


埋門跡。

本丸門跡。

破却された石垣。

原城跡の歴史。

天草四郎時貞
若干15才の若さで、一揆軍の総大将として幕府軍と対立
一揆軍は、88日間この原城に籠城
幕府軍の総攻撃により終結 1638年2月28日落城。
祈る姿は凛々しい若者です
像は彫刻家、北村西望作。

その横に
天草四郎の墓標が有りました
なんて小さな墓標なんでしょうか
お花や飲み物が手向けられていました。

天高く十字架。


眼下に有明海
黄金色の田んぼと、終わりがけの彼岸花が
心に残る風景でした。

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原城跡は、有馬領と天草地方の百姓による、島原・天草一揆の主戦場跡
周囲 約4㎞ 総面積 41ha
ここが島原の乱の激戦地だったとは・・・

空濠
低地に築かれた濠は、籠城の間
木や竹で柱を立て、カヤでその上を覆い
老若男女を収容していたとか。

ホネカミ地蔵
城跡に残されていた遺骨を、敵味方区別なく広い集め
供養した地蔵塔。


埋門跡。

本丸門跡。

破却された石垣。

原城跡の歴史。

天草四郎時貞
若干15才の若さで、一揆軍の総大将として幕府軍と対立
一揆軍は、88日間この原城に籠城
幕府軍の総攻撃により終結 1638年2月28日落城。
祈る姿は凛々しい若者です
像は彫刻家、北村西望作。

その横に
天草四郎の墓標が有りました
なんて小さな墓標なんでしょうか
お花や飲み物が手向けられていました。

天高く十字架。


眼下に有明海
黄金色の田んぼと、終わりがけの彼岸花が
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